気まぐれ日記 03年1月
02年12月の分はここ
1月1日(水)「1000枚到達・・・の風さん」
新しい年が明けた。飛躍の年である。今まで以上に前向きに生きて行く年である。
久しぶりにゆっくり寝て、10時頃起床。昨日に続いて、小春日和だ。空は青く晴れ渡り、庭の木々は風に揺れている気配もない。温風ヒーターを消してもいいくらいだ。大晦日と元旦が穏やかにつながった。
年賀状がたくさん来ていた。どれもみなひと言コメントが書かれてある。新年にふさわしい明るく前向きな表現。私も元気になる。とてもありがたい。一方、私はコメントを書き込む余裕がなく、印刷したままで出した。ちょっと罪の意識を感じたが、後で取り返すしかない。予想外の人からの年賀状というのは少なかった。
雑煮を屠蘇抜きで食べ、子供らにお年玉を渡し、早々に書斎に入った。ただし、先ずやるべきことは、年賀状の追加印刷である。住所録も少し修正したので、時間がかかった。この間に、家族は初売りに出かけた。例年、初売りだけは行く私だが、今年はその余裕もない。他の雑用をしているうちに、家族が帰宅し、昼食(?)になった。
夕方近くなって、いよいよ2003年最初の執筆である。今取り組んでいる節の最終段階だから、急ぎに急いだ。
夕食もアルコール抜きのお節で食べて、私は書斎へ。夜、9時。とうとう第1稿の枚数が1000枚に到達した。予定を100枚以上もオーバーしている。だから、時間がかかっているのだ。後で削ることは分かっていても、いちおう書かないと気がすまない性格が、今日の苦しい状況を招いている。それでも、自分のスタイルを崩すことができず、悶々としながら書いている。一方で、気持ちだけは、もっと明るく、もっと前向きに、と自分で自分を励ましてもいるのだが。
1000枚を自信というひとつの足掛かりにして、小説家としての人生をさらに明るく演出していこう。
1月2日(木)「嵐が吹く中、とうとう抜け出す・・・の風さん」
昨夜から冷たい北風が吹き出した。当地独特の冬の風である。寒い。書斎の石油温風ヒーターは、終日、火が消えることはなかった。
今日は家族の者は全員名古屋へ遊びに出かけた。私は1人で留守番しながら執筆。孤独な作業だが、至福の時でもある。なぜかというと、誰にも邪魔されずに好きなことができるのだから。
史料調べをなるべくせずに書き続けた。とうとう夜の8時過ぎに、手こずっていたある節から抜け出した。そして、新しい節へ。しかし、残された時間はわずかである。中途半端でも、5日までに最後まで到達しなければならない。今日も0時過ぎまで執筆し、1022枚になった(ルビとかあるので、正確な数値ではない、念のため)。予想提出枚数は1050枚である。
1月3日(金)「書斎の虫、カンダタになる・・・の風さん」
朝からどんよりと曇っていた。いやな天気だな、と思っているうちに雨である。冷え込む。今日も書斎の虫である。
虫と言えば、朝食のためにトーストを焼こうとしていたら、足元に小さな黒い毛玉(からまった太い糸くず)が落ちていた。目を近づけてよく見たら、黒いクモであった。死んでいるのかと、ちょっと突付いたら、ごそごそ動いてテーブルの下へ隠れた。以前にも紹介したように、クモは我が家では(と言うか、私が勝手に決めているだけだが)守り神である(ゴキとどこが違うって? 天と地の違い、いや、それ以上)。夏ならほうっておく。出入り自由だし、屋内にもエサとなる昆虫は入ってくる。でも、今は冬。家の中にエサはいないのではないか、と思った。それで、そいつをティッシュでそっとくるんで、外へ逃がした。あとで、ワイフいわく。「寒い外へ出す方が可哀相だったのでは?」確かにそうかもしれない。悩めるカン陀多(カンの字は牛へんに建でJIS第3水準)である。え?カン陀多は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の主人公です。字が出ないから、ニックネームには使えないな。
ということで(どういうことだ?)、今日も、深夜までかかり、1040枚到達である。どうやらラストは端折って書くしかない。
1月4日(土)「今ごろ御用納めへ向かっているの巻」
とうとう時間がなくなった。恐れていた事態になってしまった。止むを得ず、最終章に着手。以前下書きしたものを少しでも進化させておかなくては。
今日も天気が冴えない。気分も落ち込みかけるが、そんなことを言っている場合ではない。とは言え、最終章のために予備勉強をしていると、やはり知識不足に突き当たる。こればかりやっているとまた原稿が進まないし、これなしには原稿が書けないから厄介だ。私の場合、どうしても史料の勉強に時間をかけてしまう。そうなると原稿は進まないし、書けても単なる歴史読み物で小説にならなくなってしまう。・・・だから、歴史小説家、時代小説家は少ないのだ。事業で言えばニッチの分野である。さらにその中でもジャンルがあるし。
午前中に下調べを終えて、午後から執筆に入ったが、また牛歩に陥った。夕方から、一気に最終章の最終節に着手。こんな状態で、終わってみたら(いや終わっていないのだが)、1050枚到達。また、取り残しがある。
いよいよ明日は、最後だ。私にとっての大晦日かもしれない。明後日からしばらく正月となる。
1月5日(日)「銭になるまでの道のり・・・の風さん」
連休最終日は強風の吹き荒れる1日となった。
泣いても笑っても今日が執筆最終日。1日のフィナーレでは絶対笑いたい、と念じつつ執筆開始。毎日CDかカセットを聴きながら(実際は聴いていない、バックグラウンド・ミュージックというか、心地よい雑音である)執筆している。今日はバロックにした。意味は特にない(ここでズッコケないこと)。
昨日は最終章に取り組み、今日はまた前の章に戻った。前の章ぐらいはいちおう形を整えて提出するつもりである。さらにその前の章までは今日はいじらないので、午後から、後ろにあるワイフのパソコンとプリンターを使って印刷も開始した。前の章の形が何とか整ったのが夜8時で、早速その章の印刷も開始(やはり思い切って年末に買っておいて良かったなあ、プリンター。壊れたプリンターはまだ修理に出せない)。10時半に最終章の手直しを終えて(ほんの少しだけね)、それを印刷して、編集長への手紙を書いて、それから宅急便のための梱包をした。
今回提出する原稿は、34万文字(なんのこっちゃ)、印刷枚数は467枚(まだ分からん)、昨日までの進捗報告の延長線で説明すると1070枚(へえー)、パソコンによる原稿用紙換算はおよそ1050枚(やっと分かったぜ)である。銭になるまでの道のりはまだ果てしなく遠い。
1月6日(月)「時間よ動け・・・の風さん」
サラリーマン作家は今日から会社へ出勤である。
そしたら、外は雪が積もっている! 有料道路は閉鎖。こういうときは休むに限るのだが、新年初日なのでそうも言っておれない。急いで会社用の腕時計をはめたら、止まっていた。私の会社時間は年末年始の休暇中に止まっていたのだ。オーナーに忠実なやっちゃ。
久々にミッシエルへイグニッションキーを差し込む。一発で始動した。いいぞ、ミッシェル。
道路にはあちこち雪が・・・と言うより、凍結していた。そろそろと走る。国道へ出るところから早くも渋滞である。燃料ゲージを確認すると、帰りまでもたないことが判明。何しろ、今年初めてのミッシエルである。と言うより、私自身が外出は今日が今年最初なのだ。一番遠くの外出は、玄関のポストへ新聞を取りに行ったことだった。そう。5日間も私はただひたすら書斎にこもっていたのだ。まるで小説家ではないか。そうだ。私は小説家だった。ひとり漫才をしていても車は進まない。そして、かなり冷え込む。寒い。ヒーターが効かない。
裏道へ入ったが、そこも渋滞。山道へ入ると、坂の手前にパトカーと警官がいて、「凍結していて登れないから平坦な道を迂回しろ」と言う。どんどん遠回りしていく。ガソリンスタンドで給油したら、さらに混んだ道へはまった。既に、出発してから2時間である。くそ。久々のミッシエルと楽しく語り合いながらドライブするはずだったのに。日が昇ってきたら、今度は強い日差しで顔が暑い、いや熱い。体はまだ冷えているのに、顔と頭だけが熱い。頭寒足熱ならぬ頭熱足寒だ。
3時間20分かけて会社にたどり着いた。これだけ努力して出勤しても、会社はひと言も褒めてくれない。そりゃそうだ。相手は建築物だ。口がきけるわけがない。
そうして1日が終わった(ばかに早いな)。
帰りに腕時計の電池を交換してもらった。ようやく私の2003年が始まった。
1月8日(水)「陶芸だって鑑賞する風さんの巻」
昨日、今日と2日続けて製作所へ出張して仕事した。ミッシェルでの出張なのでご機嫌である。でも、帰りが遅くなったので、夜の運転は神経を使い、疲れる。そして、帰宅が遅いため、せっかくの正月が楽しめない(つまり雑用処理が進まない)。そろそろ執筆に戻らないと、次が大変なのだけど。
忙しい中、時間を見つけて、知人の陶芸作品を鑑賞してきた。陶芸だけでなく、絵画や書、写真も同時展示している大きな規模の美術展なのだが、時間のない私は陶芸だけ観て出てきた。大体毎年鑑賞しているので、作品の傾向もつかめてきた。知人の作品はおおらかで明るく力強い。今回は、「冬彩(ふゆいろ)」というタイトルの花器というか大きな壷のようなものである。表面に美しい柄が描かれていて、見事に着色していた。私の目では、下半分は森の木立で、中央に羽根を広げた白い鳥が番(つがい)で向き合っていて、まるでくちばしとくちばしを合わせているようだ。上の縁には枝が真横に描かれていて、2羽の鳥が運んできたようにも見える。色合いはとても品があり、きれいだ。11個並んでいる作品の中で、最も気に入った。
1月9日(木)「執筆漬けではブタになる・・・の風さん」
今日はとてもいい天気だった。日中の気温も11度くらいまで上がったらしい。
少し、会社の仕事を頑張りすぎたので、ストレス解消のため、昨年昨年10月以来のトレーニングに行ってきた。
ほぼ毎日腕立て伏せや腹筋運動をしていたので、ストレッチ後のマシントレーニングはだいたいこなせた。ただし、今日は無理はしていない。問題は体重と体脂肪率で、肥満度+0.2%、体脂肪率20.2%とひどかった。体が相当になまっている。これを絞るにはかなりの運動を続けなければならない。でも、来週、出版社と打合せをするので、その結果によっては、また執筆の日々が続くことになる(ほぼ間違いないけど)。そうなると、これはもう食事制限くらいしか方法がない。うーん。困った。
1月10日(金)「作家であることに気付くポカポカ陽気の巻」
今日もいい天気だった。このまま春が来そうな陽気だった。
執筆が一段落したことと仕事の内容が変わったことで、この1週間、会社の仕事は充実していた。これで、本来の小説も再スタートが切れるといいのだが、一度ゆるめたネジを再び締め直すのは容易なことではない。
と言いつつ週末が来てしまった。そこへ、久しぶりに自分が作家であることを再認識させる郵便物が2通舞い込んだ。ま、その前に年賀状がどっさり鳴海風宛てに来ているので、それでも自覚は促されるのだが、いかんせん、年賀状はまだまだ本名の友人・知人の方が多いのである。話がそれた。今日届いた郵便物の一つは、源泉徴収票である。今年はろくに作家業をしていなかったので、源泉徴収票はさっぱり届かなかった。今日のは忘れていた一つである。それから、もう一つ。これは、原稿執筆依頼であった。年末の刊行物の仕事である。なかなか難しい注文ではあるが、やっていかなければ作家の道が途絶える。喜んで引き受けさせていただく。
1月12日(日)「小説家の正月休みはおしまいの巻」
月曜日から入った自主正月休暇も、今日で7日目になる。
今日は朝からワイフと名古屋まで映画を観に行った。観たのはトム・クルーズの「マイノリティレポート」。期待通りの面白いストーリーだった。やはりスティーブン・スピルバーグのスタッフは、優秀なのがそろっているのだろう。2054年だったかな、近未来が舞台のSFなので、その時代の前提条件をどのように設定しているかで、面白さは半分以上決まってしまうのではないか。何が進歩して何が今と変わっていないのか、その設定を間違うと、子供だましのお話になってしまう。予知能力者を核にした犯罪予防システムは、作品の中心なので、これについてとやかく言うのはよそう。進歩しているものとして、交通システムと網膜認識による個人特定をベースにした種々のシステムは、どちらも十分あり得そうなものだ。しかし、後は小物類ばかりで、透明ディスプレイとかレーザーフォログラムとか耳掛け式の電話とかは、現状レベル。つまり、近未来と言いながら、それほど未来とは思えないものばかりだった。うまくごまかしたというのは明らか。これなら、もう少し時代は近いところで良かったかな、という気はする。たとえば2010年とかね(でも、それじゃ嘘がすぐばれちまうか)。
さて、ポイントはそれ以外で、ほぼ満足できる内容だった。テンポ良くストーリーが展開され、なかなか先を予想させない。予想通りだったのは、トム・クルーズが殺人を犯す動機と、ラストで一番のワルがトム・クルーズを殺すかどうかという場面だけだった。なかなか複雑なストーリーではあるが、よく整理されていて、エンターティンメントはこうでなければいけないと思った。もう少していねいに描写すべき点は、一番のワルの経歴や思想、人生観、生き方であろう(もっとも、これを描き過ぎると、こいつが一番のワルだとばれるから難しいのだが)。
実は、朝一番からの上映で、ワイフにビールを買ってもらい、飲みながら観た。これが、今年最初のビールだった。うまかった。小説家の日常というのは、平凡でもあり非凡でもある。
1月15日(水)「あらためて年の始めの決意・・・の風さん」
毎月15日は新鷹会の勉強会である。昨年の後半は執筆優先のためかなり欠席してしまった。今年は出席率を上げ、また基礎からしっかり力をつけたい。
6時に起床し、早い電車に乗って出発。エクスプレス予約した新幹線に乗り継ぎ、神田の某所へ到着したのは11時前である。ここまでに車内で短編を1本読んだのと、モバイルPCで自作の1節を読んでおいた。また、ケータイでメールチェックしたら、前夜恩師へ送ったメールに早速返信メールが届いていてうれしかった。肉体の移動には時間はかかるが、情報の移動スピードは確かに光速である。ITは確かに世の中を変化させている。
11時から出版社と打ち合わせた。この足掛け3年になる長編を世の中に出さないことには、次に着手できない。送った原稿は約1050枚のものだった。私は一気に短くしてもかまわないと提案していたのだが、結局、全体構成から判断し、トータル1100枚、上下各550枚程度の2巻にして出版することになった。目標は5月。まだ先があるように見えるが、1100枚の作品なので、これをリファインしていくのは容易なことではない。章立ても再考した。昼食をはさんで細部にまで踏み込んで議論し、2時に打合せを終えた。再びねじり鉢巻きの日々が始まる。
いったん新宿へ出て、少し買い物をしてから、勉強会の会場である代々木八幡神社へ向かった。正月に自宅にこもっていた私はここで初詣をして、今年1年分のお願いをした(ずいぶんとたくさんお願いしてしまった)。
勉強会に合流したのが3時で、既に始まっていた。勉強会では2本の作品の朗読と講評があり、それが5時半に終わってから、簡単な新年会があった。新鷹会の行事として、今年4月に旅行へ行く話とか、長谷川伸先生の墓参りや先生宅での勉強会開催などが申し合わされた。会にとって、充実した年になりそうである。私も落ちこぼれないようにしたい。
自宅へ着いたのは、11時半過ぎである。
1月22日(水)「怒涛の1週間・・・の風さん」
作品の改善方針が定まったので、あとはひたすら手直しという段階に入っている。なるべくリラックスして取り組んでいる。しかし、相手は1000枚を超える原稿なので、さっさっさと進めていてもなかなか捗らない。18日(土)、19日(日)は、正月休みの再現で、朝から晩までパソコンに向かっていた。思えば、こういう作業に専念できるだけ身辺が平和ということで、神や仏や家族、知人、友人、愛人(・・・はいなかった)から飼い猫に至るまでひたすら感謝である。とは言っても、執筆だけしていればいいわけではない。これで、色々と雑用もあるのだ。たとえばガソリンスタンドで灯油を買って(一度に灯油缶6個買います)、これを屋外タンクに給油するのが私の役割だ。それから、そろそろ確定申告の時期なので、せっかくネットで購入したノウハウ本で勉強し、専門の税理士に相談もしなければならない。かと思えば、ケーブルテレビで長年観たかった映画が放映されるので、無料お試し期間のメリットを利用してビデオ録画したりもする(我が家のAV機器の配線は超複雑なので、歩く電器屋さんという異名をもつ私でなければ、録画は無理)。これを一昨日決行した。タイマー録画は成功した。
そろそろ改行しないと変だな。だらだら書き過ぎだ。
その間にも、買ったばかりのアシュレイ(モバイルパソコンの愛称ね)に、さまざまのデータを入力したり、ソフトをダウンロードしたり、インターネット機能を強化したりと、これもコツコツやっている。また、来月の打合せのための上京計画と切符手配、ホテル予約なども実はもう完了した。論調が変わらないな。
そうしている間に執筆をしているわけだから(嘘、嘘、一番時間を食っているのが会社。でも、仕方ない)、どんどんできる方がどうかしている。本当は、まだまだ史料調査が必要なのだが、国会図書館はおろか愛知県図書館すら行っている余裕がない。で、先週末に、ある史料を東大近くの古本屋で発見したので、ネット注文してしまった。こういったものも、国会図書館とかへ行けば、100円でコピーが入手できるのだが、2340円もかかってしまった。とは言え、今日届いた史料を読んでみると、見事というか、狙い通りで、作品にほとんど手を入れる必要がないことが判明した(意味分かります? フィクションと史実の重大な矛盾はなかったのです! ばんざーい!)
うーん。そんなわけで、1週間があっという間に経過している。明日も早朝に起きて、出勤前執筆をする予定である。いったい今日の日記は何なんだ〜? 答え。身辺雑記そのもの。
1月23日(木)「今日も身辺雑記・・・の風さん」
6時に起きて書斎へ直行しようとしたら、何となく外の気配が怪しい。まだ空は夜の色だが、ぽつぽつ雨が降っているのが分かった。昨夜、自動洗車機でミッシェルをきれいにしたのが無駄になった・・・。
夜中まで起きて頑張っていた頃は、朝はからきしダメだった。頭がボーッとしていて、世界がすべて世紀末に見えた。今は・・・世紀末などとっくに過ぎてもいるが、睡眠をとった後ということで、寝不足でもない限り、ちゃんと起きられる。だから執筆は朝型になりつつある。妙なこだわりなく原稿修正作業を続けて、それなりに進んだ。
朝食を摂って、製作所へミッシェルで出張した。最近多いがけっこう喜んで出かけている。片道75kmある。しかし、今日は、雨が上がっていないし、中途半端な降りなので、みるまに汚れていく。途中、ダートに近い道もあり、もうミッシェルは泥だらけだ。それにしても冷たい雨の降る日だ。
早めに着いたので、ミッシェルの中でアシュレイを開いてメールチェック(すごい文章。気まぐれ日記リピーターしか判読できない)。こういうことがスイスイできるようになったのは、実に便利で楽しい(・・・なんてことを書くと、秘書から「先生はアシュレイで遊んでばかりです」とばらされるな)。
製作所で楽しく仕事をして(会社の仕事は趣味なので楽しいのは当たり前)、また小雨の中をミッシェルで本社へ戻った。午後は部下と仕事の検討をしたが、夕方になるにつれて、面白くない話が出てきて、キレルキレル。いい加減なマネジメントに触れると私はすぐカッとなる。小説を書く時の半分でも緻密で技術的なマネジメントがされていれば、部下の苦労は10分の1に減るだろう。
不愉快な気分を断ち切って、定時で退社した。夜は地元の小学校で最後のPTA委員会である。私の担当する部門の仕事はまだ残っているが、全体としては大方終了なのである。役員、委員そして先生方の日頃の苦労を知ることができて有意義であった。
それにしても今日の日記も身辺雑記だった。執筆はまずまずでも、日記は不調。
1月26日(日)「たぎる情熱、輝きの予感・・・の風さん」
中学2年の頃、第二の自我の目覚めがあったと思う。自分の人生を強烈に意識し始めたのである。何年か先に振り返った時、今が自分として輝いていたと思い出されるのではないか、だから、この輝かしい時に色々なことをしなければならない、と思ったのである。ところが、現実とのギャップに次第に挫折していった。受験戦争の最中でもあった。もともとスポーツは不得意。恋愛も抑制されたものだった。高校時代は絶望感で「いつ死んでもいい」と自暴自棄だった。ただ、周囲の仲間たちはおとなに見えた。自分がちっぽけな存在でも、彼らの中にいるということが唯一の誇りだった。秋田高校時代である。卒業が近付いてきて、去っていく校長が残した言葉を人づてに聞いた。「汝(なんじ)、何の為にそこに在りや」 生きる意味を真剣に考え始めた瞬間だった。そして、大学時代があり、私は小説家を目指す決心をしたのだった。
昨夜、執筆中に、高校時代の友人からケータイに電話があった。同窓会で盛り上がった勢いでかけてきたのだ。近くの席に高一のとき同じクラスだった女性がいて、ぼくのことを覚えているという。電話を代わって、少し話した。私は手の届くところにある高校卒業アルバムを取り出して開いた。彼女をすぐに発見した。おとなしかった彼女の記憶がまざまざと蘇ってきた。30年ぶりの会話だった。町でばったり会っても決して分からないだろう。お互いに長い年月を間にはさんでいても、不思議と自然に話ができるのは、その間、相手が意味のある重い時間を過ごしてきたことを認めることができるからだ。まだ未来の分からない世代での出会いと、それなりの人生経験を経てからの出会いは、全く違う。違うけれども、その価値や意味は、どちらもまばゆいばかりに輝いていると思う。
小説家として、本を出版すると、さまざまの出会いが生まれる。そのほとんどは、実際に会うことなく、手紙とかメールのやりとりで続くだけなのだが、全く予想もできなかった世界を垣間見ることができて、感動することもある。作品が未知の人々に何らかの影響を与えたあと、それは大いなる感動となって、著者である自分に返ってくるのだ。
この感動のサイクルは確実に増えている。「汝(なんじ)、何の為にそこに在りや」 そういうとき、私は小説家の道を選択したことに誇りをもつ。
肉体は明らかに老化の一途をたどっているが、小説を発表し続けている限り、これから迎える世界は輝きに満ちている。私の人生の頂点は50代、60代にあるという予感が沸々(ふつふつ)と体内にたぎってくるのである。
1月28日(火)「ケータイ料金に目玉が飛び出す・・・の風さん」
昨日は、会社の仕事のためにミッシェルで200km近くも走ってしまった。天気も悪く、普通なら憂鬱な出張なのだが、どんな状態でもぼくの運転に敏感に応えてくれるのがミッシェルの素晴らしい点だ。
モバイルのアシュレイも、カスタマイズとソフトのインストール、ネット環境設定によって、次第に最強マシンになりつつある。これも実に小気味良い、ボケ風さんには必須のモバイル・ツールである。ところが、アシュレイにケータイをつないで、いい気になってインターネットをしていたので、昨日、ふと心配になり、料金のチェックをしてみた。すると、な、なんと、1万円を超えていた。げげえ〜、というわけで、急遽、インターネット向き割引料金プランに変更した。これは月初にさかのぼって適用してくれるので、請求書は1万円未満でくるはずだ。
疲れたので、夕べは早めに就寝した。すると、今朝、4時半に目が覚めてしまった。いよいよ老人症候群である。それでも、二番寝、三番寝しているうちに、6時になったので起床し、出勤前執筆をした。難しい局面にさしかかっているのでペースは上がらないが、仕方ない。少しずつ進むしかない。
今日は、1日本社で仕事していた。肉体的には楽な1日のはずだったが、夕方からめまいがしてきた。これも老人症候群であろう。さっさと帰宅して、夜は、地元の小学校へ出動し、PTA活動をしてきた。生きるということは、いろいろなことをしなければならないものだ。たとえボケ小説家といえども。
1月31日(金)「待望の史料をゲット・・・の風さん」
毎年1月は長い。その長い1月の最終日である。2月に入ると、また一気に時間の経過が速くなる。
水曜日から寒波がきていて、寒い。29日は起きたら外が銀世界で、有料道路が閉鎖されていた。幸い、名古屋出張だったので、ゆっくりと出発した。すると、積雪は自宅のある地域だけで、名古屋はほとんど雪がなかった。それでも寒風が吹き荒れた一日で、終日寒かった。出張は、大学の先生の講演で、上司の指示によるものだったが、とても有意義で得をした気分である(内容は専門的で、普通の人には理解できないだろう。ところが、先生の話はテンポがよく、ポイントをしっかり説明してくれたので納得できた)。夜は、会社の部次長会の新年会だったが、執筆が遅れている私は、出席をとりやめて帰宅した。
昨日も寒〜い1日だった。出勤前に執筆をしたのは、前日と同様である。降雪のために新幹線は米原付近で止まっていたし、飛行機の欠航もあった。ところが、朝の出勤時、道路は意外なほど空いていた。会社では会議の連続で少し疲れた。帰宅して、執筆に力を入れたが、けっこう難航している。
今日もまたミッシェルで遠距離恋愛・・・じゃなかった、遠距離出張した。
帰りに愛知県図書館に寄って、秘書の氷美子さんが見つけてくれた史料を借りたりコピーしたりした。国会図書館でも容易に発見できなかった貴重な史料である。秘書に感謝。現在取り組んでいる作品は非常に多くの参考文献を使用しているが、今日でほぼ史料の収集は終わりかもしれない。この作品が私の代表作になるように、とにかく最善を尽くすつもりである。
03年2月はここ
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